新・教育ジャーナル

教師や学校、最新の教育動向に関する記事です。

部活動を教師に押し付ける悪魔の正体

 

 

    近年、働き方改革が謳われる中で、教員の長時間労働が労働問題として取り上げられることが多くなった。平成28年の調査によると公立小中学校教員の時間外勤務が45時間以上の割合は8割を超えている。とりわけ、時間外勤務の大きな要因となっているのが部活動である。部活動は教育課程外の活動であり、本来は教員の自由意志の下で行われるはずだが、実態は職務の一部として強制的に行われている側面がある。たびたび、部活動の外部化が議論されるが、完全に外部化するような流れは見えない。1971年に制定された、いわゆる特給法が、就業時間の概念をなくし、教員の異常な長時間労働を助長している。特給法を廃止し、就業時間の管理を徹底することで、教員の長時間労働の改善が期待できる声がある一方で、その最大の要因となっている部活動問題が解決しない限りは、根本的な労働環境の改善には至らない。なぜ、部活動を学校(教師)に負わせたいのか、誰がそれにより利益を得ているのかを分析し、その悪魔の正体を明らかにすることは、部活動問題の本質に迫る上で重要である。

    一部では、部活動の外部化について、その財政上の問題が指摘されるが問題はそんなに単純ではない。なぜなら、部活動を学校に組み込むことには、社会的な要請がみてとれるからである。まず、保護者にとって、適切な対価(指導料、施設使用料等)を支払うことなく一定の信頼のある大人(教師)に子どもの指導を委ねられるシステムとして学校の部活動が最適である。また、甲子園等に代表されるように学校を代表して行われるスポーツは興行面での需要が高く、大会を主催するマスメディアをはじめ、学校スポーツで恩恵を受けている組織や団体にとっては部活動の外部化は積極的に取り組む課題にならない。むしろ、朝日新聞社などは、普段はお家芸のように人権問題を叫んでいるが、部活動問題となると、真夏の炎天下で高校生に野球をさせることを厭わない(外部からの指摘にも、真摯に向き合わず自らの利益を優先するという、完全なダブルスタンダードをとる)。さらに、深刻なことは、部活動を教員が負担することを、教員側が望んできた歴史があることである。実際、日本教職員組合が組織的力を強く持っていた時から、教育への政治介入を極度に嫌い、部活動も含めて学校教員がすべてを担うことを理想としてきた。また、教員、個人個人のレベルでも、部活動を指導するために教員になった堂々と言う人が一定数いることからも、部活動の外部化の機運が高まりにくいことが伺える。このような、志向性をもつ教師は、スポーツインストラクターになるほうが適しており、教師としては失格教師である。

 

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部活の百害に気づかない教員は退場せよ

    部活動批判に対する、反論として、部活動の意義を強調する人がいます。典型的な主張と言えば、「部活動は生徒の忍耐力を鍛える」や「部活動を通して人間関係を築く力を学ぶ」等・・・。さらには、「部活動のおかげで生徒の問題行動が減る」などという新興宗教のような主張を繰り広げる教師もいます。しかし、仮にこれらの主張が正しく部活動に、他には代えがたい教育的価値があるのならば、部活動は、教科等と同様に学校教育の正規の教育課程に組み込まれるはずです。現状において、教科と同等の位置づけをされていない以上、部活動によって育まれる力は、他の教育活動によって十分育成可能なものであるか、そもそもそのような力は必ずしも身に着ける必要がないものであるといえるでしょう。もっとも、部活動によってそれらの力が育成される根拠はありませんし、部活動指導においてただの素人である教師(単にその競技をやったことがあるだけ)に、そのような力を育成できるのかは甚だ疑問です。
    以上のように、部活動そのものの価値に疑問がありますが、仮にそこに価値があったとしても問題はたくさん存在します。まず、第一に部活動が重視されることによる教師力の低下です。教師の専門性は、言うまでもなくその授業力や生徒指導力、学級経営力等に現れますが、もし部活を熱心に取り組む教師が、不当な評価の下、人事上の優遇をうけるようなことがあれば、教師の専門性がゆがめられ、それは教育の質の低下につながります。実際、部活を優先するあまり、授業準備を怠り、それをあたかも熱心な教師の象徴であるかのように職員室で語っている教師を少なからずみます。そして、それに称賛をおくる管理職もいます。まさに、失格教師と失格管理職により学校教育がむしばまれている証ですね。
さらに、部活動は時に、教師と生徒間にいびつな力関係を生み出します。生徒は、一般的に部活動顧問の教師に対して一段と気を使います。それは、敬意を払うような高尚なものではなく、恐怖による支配に似たものです。往々にして、そのような教師はその支配力を指導力と勘違いし、時にそれが体罰等の問題へと発展する温床ともなりうるでしょう。一方で、部活指導に消極的な教師(部活動はあくまで自発的なものなので、何ら問題なし)の場合、生徒がその教師の指導力に疑問をもち、力関係が逆転してしまう例もあります。本来するべきことでないことによって、生徒との関係性が乱れ、他の教育活動に悪影響を及ぼすのであれば、それは大問題です。以上のように、部活動は、学校教育の根幹を揺るがす負の影響がたくさんあり、直ちに学校教育と分離すべきなのです。

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授業より部活を優先する教師は退場せよ

    前回の記事で書いたように、部活動は教育課程外に位置付けられています。つまり、教師の本業である授業や学級経営等とは、教師がすべき優先度が全く異なるのです。にもかかわらず、授業より部活動を優先する教師がいるとしたら、間違いなく失格教師です。当然、授業時間そのものを削って部活動を行うような教師はいませんが、授業準備の時間をないがしろにし、部活指導に邁進する教師はたくさんいます。彼らは、「生徒のために」という使命感と情熱をもってやっていますが、残念ながら教師の本業を見誤った行動と言えるでしょう。例えれば、飲み会が社員の親睦に役立ち、まわりまわって会社の利益になる場合であっても、本来やるべき職務をないがしろにしてまで、飲み会の準備に奔走している人がいたらおかしいですよね。授業より部活を優先する教師とは、そのような人なのです。
    このような状態を生み出している要因の一つに、制度的な欠陥があります。近年は、部活動に疲弊する教員が、労働問題として注目されたことから、政策面での変化がみられます。平成29年12月に、文科省より発表された「学校における働き方改革に関する緊急対策」では、学校の業務を、教師が担う業務、必ずしも教師が担わなくてもいい業務、学校以外が担う業務に分類し、それぞれについて、今後取りうる措置についてまとめています。とりわけ、教員に対するアンケート調査等で明らかになっている、教員の多忙化の主要因が、部活動に関する業務であり、これは、先の必ずしも教師が担う必要のない業務として分類され、部活指導員等の活用によって教師の負担低減を目指しています。これを、明確にしたことは大きな前進と捉える声がある一方で、この措置によってつけられた予算はわずか5億円であり、4,500人分の部活指導員の採用が可能としているが、全国に、1万5千を超える中高等学校があり、それぞれの学校が複数の部活動を抱えていること考えると、到底実効性のある措置とはみなせず、文科省における改革に対する本気度には大きな疑問符がつきますね(むしろ、本当は教師に部活動を押し付けたいという思惑を感じます。)

 

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同じ部活動の顧問を続けている教師には気を付けろ

 中学校や高等学校では、部活動が盛んに行われていますよね。学校の前を通ると、大きな垂れ幕が掲示され、それぞれの学校が部活動の実績をアピールしています。そして、その部活動に熱心に打ち込み、それを生きがいにしている教師もたくさんいますね。しかし、部活動に熱心な教師には注意が必要なのです。
 みなさんは、部活動の学校教育における位置づけをご存知ですか。学校で必ず行われることと言えば、各教科の授業(国語、数学、体育等)や総合的な学習、特別活動(学級活動、生徒会活動等)が法的に規定されています。しかし、部活動は違います。部活動は、教育課程外の活動と位置付けられており、極端に言えば、やってもやらなくてもいいのです。当然、生徒が部活に加入する義務もなければ、教師が部活動顧問を強制的にやらされる根拠は何も存在しないのです。以上のことを踏まえると、部活の指導力は教師としての指導力の評価には直接的には何ら反映されるものではありません。
 しかし、実際には部活動で顕著な成績を上げている教師が指導力のある教師とみなされたり、人事上の優遇を受けたりすることはよくある話です。もちろん、彼らが、同時に授業力を持ち合わせており、教師として正当に評価されるべきところで評価されているのならば、いいのですが、適当な授業を行い、部活動の力関係を利用して生徒指導をしているような、部活動のみに特化した部活動教員が優遇されるのであれば、日本の学校教育の質の低下は避けられないでしょう。
 その点において、学校を異動しても同じ部活動の顧問をやり続けている教師には気を付けてください。公立の教師は定期的に、人事異動が行われます。本来であれば、教科や生徒指導力、学級運営力、事務処理能力等の教師としてもスキルを基に、人事異動が行われるべきですが、実際には、部活動を主眼に行われている人事異動が多く見られます(例えば、野球強豪校の顧問が、次も野球の強豪校に異動し顧問に就く等)。一見、何ら問題ないように見えるかもしれませんが、先に述べたように、部活動は教育課程外の活動であり、人事異動における優先順位が上位に来ることは許されません。同じ部活動顧問を続けている教師は、このような不当な人事上の優遇を受けている可能性があり、授業力に疑問符がつく失格教師かもしれません。

 なお、部活問題は、教師の専門性を阻害する大きな要因となっているため、今後もその問題点を発信していきますね。


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ギリギリで授業を終了する教師には気をつけろ

 授業時間終了を知らせるチャイムがなってから、慌てて授業を閉じようとする教師にあったことはありませんか?もちろん、授業はどんなに計画しても思い通りには進まないので、ギリギリに終了してしまうことはよくあるかもしれません。しかし、教師がしなければならないことの一つに、子どもが授業内容を目標に照らしてしっかりと理解できているかを確認することがあります。例えば、小学校の算数で12×3のような2桁の掛け算が計算できることを目標とした授業の場合、それができているかどうかの確認として、授業の後半に類似の問題(14×7等)を子どもに解かせて、その正解度を確認しなければなりません。そして、その結果によって、教師は次に進んでいいのか、もしくはもう一度その内容をやり直す必要があるのか、個別の子どもに対する対応が必要なのか等を検討し、次の指導に反映させなければいけないのです。
 このような、評価を形成的評価と呼びます。これは、1970年代にイギリスでカリキュラム改善のために使われるようになった言葉で、1990年代後半からは、WiliamやBlackの研究の影響を受け、授業改善や学習改善に役立つものとして世界中で注目されています。成績付やクラス分け、入学選抜のために機能する評価を総括的評価というのに対して、子どもの学習理解度を把握するためのエビデンスを収集・分析し、その結果を指導、学習改善のために使う評価を形成的評価といいます。
 以上のことを踏まえて、子どもの理解度を確認するということの重要さがわかると思いますが、ギリギリで授業を終了しようとする教師は、この確認、振り返りの時間を十分に確保できていないことが多いです。結果として、そのような教師は、子どもが理解しているかどうか、目標に到達しているかどうかに関わらず、授業を次に進めてしまう、失格教師となるのです。

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マニアックな教師に気をつけろ

  いろいろなことを知っている先生は魅力的ですよね。しかし、教科についてのマニアックな知識をもち、授業の中で、自らの知識を披露することに酔いしれている教師には注意が必要です。当然、教師には専門知識が必要です。とりわけ、自らの担当する教科(数学や英語、音楽等)については十分な理解と知識がないと子どもたちに教えられません。その点において、マニアックな知識を持っていることは否定されることではありません。しかし、ただ単に知識があることがよい授業を行う教師の条件ならば、その専攻科目についての研究者(大学教授等)が授業を行えば、誰よりもよりよい授業ができるということになります。でも、大学等で講義を受けたことがある人は良くわかると思いますが、彼らの授業は決して学習者にとって理解しやすい、楽しい授業ではありません。また、英語学習において英語ネイティブに教えてもらった人が、日本がネイティブの人に教えてもらった場合より英語習得の達成度が高まるとも限りません。つまり、よりよい授業を行う教師には、教科の知識があるということだけでは不十分なのです。にもかかわらず、自らの知識や経験の豊富さを過剰にアピールする教師は、教師の専門性(教師がよりよい授業を行うために必要なもの)をはき違えている、失格教師といえるでしょう。
 では、合格教師とはどのような教師なのでしょうか。ここでキーワードとなるのが、Pedagogical Content Knowledge (PCK)と呼ばれる、教師が身に着けるべき特有の知識です。これは、1985年にショーマンがアメリカで提唱した概念です。教師には、各教科内容についての知識(内容の知識)に加え、それをどのように教えるのかということについての知識(教授法の知識)が必要になります。先にも述べたように、教科知識がある人が上手な授業ができるとは限らない一方で、上手な話し方で子どもの興味を引いたり、きれいな色遣いで黒板を書いたりするのが得意な教師でも、教科内容を知らなければそれを教えることはできません。つまり、教科の内容と教授法の知識、2つが揃って初めて、教師の専門性が成立し、合格教師となり得るのです。
 以上のようなことを踏まえて考えたとき、教科内容についての知識のみをマニアックに追求して、その知識を自慢するような教師には注意が必要です。

合格教師と失格教師

 皆さんは、これまで何人の教師と出会いましたか?実際に授業を受けた教師だけでも、数十人にのぼり、その他の教師も含めると百数十人の教師と出会ってきたかもしれません。その全員が、教師としてみなさんの前に現れましたが、その教育力はいかがでしたか?きっと、皆さん自信が直感的に、教育力がある教師教育力のない教師を見分けているのではないでしょうか?このブログは、どのような教師が教育力のある合格教師で、どのような教師が教育力のない失格教師なのかを、学術的にお伝えしていきます。

 教師の教育力はさまざまな要素によって構成されていますが、中でも最も重要な要素は、他でもない授業力です。いわゆる、授業がわかりやすい教師のことですね。授業は、学校教育の中核をなすもので、教師がその専門性をもって、子どもの学習を促進するために行われる教育活動です。みなさんの経験上、どのような授業がわかりやすく、皆さんの学習の向上に役立ったでしょうか?

 これから、投稿していくブログでは、学術的な知見をベースとして、合格教師と失格教師の特徴を明らかにしていきます。その中には、皆さんの、経験的感性と一致するものもあれば、異なるものもあるかもしれませんが、それも踏まえて質の高い授業を行う合格教師とは何なのかということについての議論が深まれば幸いです。このブログを通して、よい授業の特性を明らかにし、教師の授業力の向上、さらには子どもの学習の改善に役立つことを目指しています。最後までお読みいただきありがとうございます。次回もよろしくお願いいたします。