新・教育ジャーナル

教師や学校、最新の教育動向に関する記事です。

部活の百害に気づかない教員は退場せよ

    部活動批判に対する、反論として、部活動の意義を強調する人がいます。典型的な主張と言えば、「部活動は生徒の忍耐力を鍛える」や「部活動を通して人間関係を築く力を学ぶ」等・・・。さらには、「部活動のおかげで生徒の問題行動が減る」などという新興宗教のような主張を繰り広げる教師もいます。しかし、仮にこれらの主張が正しく部活動に、他には代えがたい教育的価値があるのならば、部活動は、教科等と同様に学校教育の正規の教育課程に組み込まれるはずです。現状において、教科と同等の位置づけをされていない以上、部活動によって育まれる力は、他の教育活動によって十分育成可能なものであるか、そもそもそのような力は必ずしも身に着ける必要がないものであるといえるでしょう。もっとも、部活動によってそれらの力が育成される根拠はありませんし、部活動指導においてただの素人である教師(単にその競技をやったことがあるだけ)に、そのような力を育成できるのかは甚だ疑問です。
    以上のように、部活動そのものの価値に疑問がありますが、仮にそこに価値があったとしても問題はたくさん存在します。まず、第一に部活動が重視されることによる教師力の低下です。教師の専門性は、言うまでもなくその授業力や生徒指導力、学級経営力等に現れますが、もし部活を熱心に取り組む教師が、不当な評価の下、人事上の優遇をうけるようなことがあれば、教師の専門性がゆがめられ、それは教育の質の低下につながります。実際、部活を優先するあまり、授業準備を怠り、それをあたかも熱心な教師の象徴であるかのように職員室で語っている教師を少なからずみます。そして、それに称賛をおくる管理職もいます。まさに、失格教師と失格管理職により学校教育がむしばまれている証ですね。
さらに、部活動は時に、教師と生徒間にいびつな力関係を生み出します。生徒は、一般的に部活動顧問の教師に対して一段と気を使います。それは、敬意を払うような高尚なものではなく、恐怖による支配に似たものです。往々にして、そのような教師はその支配力を指導力と勘違いし、時にそれが体罰等の問題へと発展する温床ともなりうるでしょう。一方で、部活指導に消極的な教師(部活動はあくまで自発的なものなので、何ら問題なし)の場合、生徒がその教師の指導力に疑問をもち、力関係が逆転してしまう例もあります。本来するべきことでないことによって、生徒との関係性が乱れ、他の教育活動に悪影響を及ぼすのであれば、それは大問題です。以上のように、部活動は、学校教育の根幹を揺るがす負の影響がたくさんあり、直ちに学校教育と分離すべきなのです。

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