新・教育ジャーナル

教師や学校、最新の教育動向に関する記事です。

試験制度を利権化する奴らの正体

 前の記事(試験大好き教師には気をつけろ)で、試験制度がもたらす弊害をいくつか指摘しました。しかし、それでもなお試験が、学校教育を支配し続けているのはなぜでしょうか。試験がもつ利点である、採点の公平性や再現性、試験官の主観の排除、他者との比較が容易等といった純粋な理由以外にも、事情があるのです。
 まず、社会において中上流階級にいる人たちが、自らの階層を固定化したいという意図です。言い換えれば、階層の流動化を防ぎたいのです。試験の制度設計は、上流階級出身者によって行われている(試験制度の下で優秀な成績を出せる人は、高所得家庭出身者に多く、彼らが制度設計影響を及ぼすポジションについている)ため、同じ階級出身者にとって有利な能力を測れる制度設計になっています。例えば、某有名なお受験ママが、子どもを一流大学に合格させる秘訣として「子どもには一切家事をやらせない」といっていました。それは、家事で習得する力は、直接的に受験にとって必要ない力だからです。家事によって習得される力が、たとえ人々の「生きる力」(学校教育によって育む力)にとってとても重要な要素であっても、それらは試験科目から排除し、数学や国語等の力(正確に言うと、問題を解く力であって、国語や数学に関する、深い理解や新しい技能の習得そのものではない)に特化することで、それらだけをやらせられる家庭環境(比較的裕福な家庭)で学習する生徒に有利な試験制度を設計しているのです。このような観点から考えると、試験制度は上流階級出身者にとって、自らの利権を死守するために利用し続けたいものなのです。元来、試験制度は、産業革命以降のイギリスにおいて、力をつけた市民が階級の固定化に挑戦するためにできたもの(家柄や階級に関係なく、試験によって能力があればだれでも高等教育等を受けられるようにする)であるが、現在では、その試験制度によって階級の固定化が強まっていることは皮肉なことですね。
 次に、ビジネスの要素があります。試験制度のおかげで、さまざまな教育関連の産業が発達しました。学習塾や教育関連書籍の出版社等、試験制度なしでは成立しないような産業がたくさんあります。また、センター試験(大学入試共通テスト)のように、利権やビジネスチャンスが生まれるようなものも、試験制度を利用することで成立しています。以上のようなことを踏まえると、これらの利権にあやかりたい人々、組織が、試験制度を死守しようとしています。実際、今日の大学入試改革によって、学習者の不安を煽り、そこにつけこんだ、ビジネスや学習書等が多くみられます。また、ある教育関連企業は、文科省の事業に必ずといっていいほど関わり、この度の、英語の民間試験活用に関しても、しっかりと参入しています。教育関連企業として、学習者のためのふりをしながら、実は自らの利権のために、学習者を混乱させ、学習を阻害していることは、許しがたいことです。

最後までお読みいただきありがとうございました。