新・教育ジャーナル

教師や学校、最新の教育動向に関する記事です。

塾化した学校、塾講師化した教師には気をつけろ

     教師と塾講師は、共に授業を行い生徒の学力を高めるという意味では似た役割をもつ職業かもしれませんね。しかし、何のために学習指導をしているのかという目的は大きく異なります。一般的に塾講師は、生徒が目的としている試験等に合格するため、もしくはそれに必要な得点をとるために学習指導を行っています。よって、試験問題に効率的かつ正確に回答できるように、必要最小限の知識を伝授し、練習問題を繰り返し、試験で得点に結びつくことに特化して学習指導を行います。
     一方、学校の教師は、本来は、試験合格のために学習指導をしていません。実際、学習指導要領のどこにも、試験を合格させることや、テストで1点でも多く点数をとらせることを明記した箇所はありません。学校の教師は、生徒の「生きる力」を育むために、知識理解、思考力判断力表現力、そして学びに向かう力・人間性等の資質能力をバランスよく育むことが求められています。そのため、社会構成主義によって導き出される学習理論が学校の授業の場では重視され、生徒自身が考える時間や活動する時間、生徒同士で議論する時間等が用意されます。
    しかし、学校の教師の中には、塾講師のごとく、受験に必要な知識のみを一方的に教えることに快感を覚え、受験指導を請け負うことが第一使命と考えている人がいます。また、学校自身が、それを教師に求め、難関大学への合格者数を教育の価値と考えている学校も少なからずあります。
     以上のことは、決して生徒が難関大学に進学することや塾講師がそのための指導をおこなうことを否定しているのではなく、学校教育の役割を見失った教師や学校を批評するものです。学校教育とは何かを誤解した教師や学校の下で学ぶことのリスクを認識していただければと思います。ちなみに、2014年のイギリスでの調査によると、Aレベル(イギリスで高校三年生が受けるテストで最高のグレード)を獲得した学生が、大学入学の3か月後には、同じテストで4割しか正解できないことが明らかになっています。つまり、試験のための学習が表層的で短期的なものであり、現行の学習指導揚力が求める「深い学び」と言えるかどうかには甚だ疑問があります。
  なお、もし、学校教育の本来の役割をまっとうした学校で学んだ生徒が育んだ力が、大学入試や就職試験等で、価値のない力とされるならば、その試験制度そのものに大きな欠陥があるか、学校教育の役割そのものが間違っているのかどちらかになります。そこの、矛盾を正さない限りは、塾化した学校、塾講師化した教師問題は解決されません。

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